北風小僧の本で得た得する知識

日々の日常体験を元に記事を書いて行こうと思います。読書レビューも更新していきます!

生に向き合うということ

ある本との出会い

何気なく面白い本はないかとネットで調べていたら、「それでも僕は持っている」というタイトルの本に出会った。

特に表紙に惹かれたわけではないが、見ていくと自分と同い年で闘病生活中ということもあったので、何となくショッピングカートに入れて購入した。

普段本はかなり慎重に吟味して購入する派なのに、この時はすぐに購入したことを覚えている。

 

 

本書の内容としては、自分の闘病生活とこれまで生きた証を残すために、自身の闘病生活と人生を振り返ったエッセイのようなものになっている。

 

心からの言葉

私は普段、本をかなり読んでおり、年に150冊程度読んでいることもあり、かなり本の批評に関しては、厳しいほうだと自負している。

本書の表現方法、言い回し、文体どれをとっても普段私が読んでいる本と比べると明らかに劣っている。

それもそのはず。

この著者は作家でもなんでもなく、自身でクラウドファンディングで資金集めを行い、自費出版にこぎつけたのだから。

 

確かに一流作家のような文章の読みやすさ、わかりやすさはないかもしれないが、彼の文章、言葉にはどれだけ飾られた文章よりも魂がこもっていることを実感した。

 

それは、彼の生きざまがそのまま文章になり、本になっているからだと思う。

どれだけ洗練された文章を書ける人がいたとしても、自身の体験から語れるものがなければそれは宝の持ち腐れになる。

 

書き手にとって、素晴らしい文章を書けることはもちろん大事だが、それ以上に自分の中にどれだけ語れるものがあるか。

どれだけ相手の心に響くものを残せるか。

それに尽きると思う。

そういった点では、この本は超一流といえるだろう。

 

生と向き合うこと

本書を読んで、もっと生きたかっただろうな。

自分と同い年なのに、かわいそうだなといったのが、本を読むまでの自分の感覚だった。

だが、読み進めていくうちに、死が近づいている恐怖の中でも生きることに喜びを感じ、生きた証を懸命に残そうとする姿には心を打たれるものがある。

 

仮にもし、自分が同じ状況に陥ったときに、これだけ前向きに生きることに向き合えるだろうか。

やりたいことを全部やるために、駆けずり回って行動を起こすことができるだろうか。

 

世の中ではまだまだ自分で命を絶ってしまう人が後を絶たない。

その人なりの絶望がそこにはあって、苦渋の選択なのかもしれない。

 

だけど、それでも必死に生きたいと思う人がいる限り、命を粗末にしちゃいけない。

最後まで生きることに向き合わないといきなり。

苦しみ、悲しみ、喜び、怒りすべての感情を感じられるのは、人間として生きていられるから。

 

この本はまた私を強くしてくれました。

最後まで生と向き合った甘利幸太郎さんに心からのご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

そしてバトンは渡された 感想【誰かから役割を求めている】

本日レビューしていく作品はこちら。

 

そしてバトンは渡されたという作品です。

 

あらすじはこちら。

第16回本屋大賞を受賞した瀬尾まいこの同名ベストセラー小説を、永野芽郁田中圭石原さとみの共演で映画化。血のつながらない親の間をリレーされ、これまで4回も名字が変わった優子。現在は料理上手な義理の父・森宮さんと2人で暮らす彼女は、将来のことや友だちのことなど様々な悩みを抱えながら、卒業式にピアノで演奏する「旅立ちの日に」を猛特訓する日々を送っていた。一方、夫を何度も変えながら自由奔放に生きる梨花は、泣き虫な娘みぃたんに精いっぱいの愛情を注いでいたが、ある日突然、娘を残して姿を消してしまう。主人公・優子を永野、血のつながらない父・森宮さんを田中、魔性の女・梨花を石原がそれぞれ演じる。監督は「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」の前田哲。

いきなりネタバレなので、読んだ人みた人向けになります。

まず最後に梨花さんのすばらしさがあふれ出てきて、涙が止まりませんでした。

血がつながらなくとも、自分の子供同然、いやそれ以上に愛情を注ぎ続けた姿。

何よりも娘のみいたんのことを最優先に考え、我が子のためであれば、自分のことを顧みず、パン屋に頭を下げて、パンの耳を集めたり、お金もちの知り合いに結婚を申し込んで、みいたんがずっとやりたがっていたピアノができる環境を提供したり、本当に自分の人生すべてをかけて娘のしあわせを祈っていたことに強く強く心打たれました。

 

この作品の素晴らしいところは、最初は梨花さんがただ単に自分勝手でわがままな困った人だということを巧妙に演出していることです。

 

もと父親の赴任先に絶対についていかないとかたくなに拒否したり、ブランド志向を見せつけたり、個人的にすごく苦手なタイプな女性として見ていました。

 

ただみいたんに対してはすごくよくしていたので、そこは少し違和感がありました。

こういう着飾った人でも他人の子供のことを真剣に考えているんだなあとその程度に。

 

最後梨花さんの隠していたことが分かったときにすべてがつながるあの感じ。

とても好きでした。

 

やっぱりどこまで行っても母親なんだと。

 

梨花さんの3人の旦那さんにも、すごく心を温かくしてもらいました。

最初の本当のお父さんは、遠くのブラジルに行っても、忘れることなく手紙を送り続け、みいたんの幸せを心の奥底からいのってました。

結果的にそれはみいたんのもとに届くことはありませんでしたが、みいたんに対しての思いは何年たっても何十年たっても色あせることなく、残り続けていました。

そのひたむきな愛に、親っていつまでたっても子供のことを愛せ続けるものなんだなと心の希望を感じました。

 

2人目のお金持ちなお父さんは梨花さんの目的がただ子供を幸せにするという、半分結婚詐欺みたいな話だと分かっていて、敢えてそれを受け入れるくらい懐の広い人です。

最初は何だこの胡散臭いエロ親父はくらいにしか見ていませんでしたが、梨花さんへの無償の愛、そしてみいたんに対しても同じくらいの愛を注ぎ、守り抜きました。

そこに関しては、損得勘定は一切なくただただ与えることの尊さ、子供を守るという人間としての本能のようなものを感じました。

 

最後に3人目の森宮さんはどのお父さんも素敵だったけど、その中でもマジでいい人。

みんないい人なんですけど、最後までみいたんを守り続け、そして愛を注ぎ続けた。

他人から見たら、全くあかの他人なはずなのになぜここまでできるのかと不思議がられたに違いありません。

森宮さんの姿には本当の父親以上の責任感を感じましたし、子供を育てることの大変さ、尊さも同じように感じました。

 

この3人の父親はすべてが完璧な父親で、それぞれが自分の役割を全うしていました。

この作品の伝えたいところでいうと血がつながらなくとも、親子として成立し、本当の親子以上の関係になれることだと個人的に感じています。

 

多くの人もこの作品を通じて、本当に大事なのは血のつながった親子の事実なんかよりも、いかに子供に愛を注ぎ同じ時間を共有できたか。

自分の時間を、気持ちを子供に向けられたかなんじゃないかと思います。

 

もう一つ私個人的に感じたのが、みんな自分の役割を欲しがっているということです。

人間はどんなに辛くてもいきていかなければ、いけません。

この世に命を授かった限り。

そんな中でなぜいきるのか。

自分が生きる意味とは何なのか考える時間が必ずあると思います。

 

そしてこの父親たちはみいたんという大切な子供を育て上げるという新たな使命を与えられたのです。

 

話が少し変わるのですが、あのくずで有名なクロちゃんがこんなことを言ってました。

「自分は親からお金をもらうことは悪いことじゃない。親が子供にお金を与えることで、自己肯定感を満たせるのだから。」

 

これは少し極端な例かもしれませんが、親としても子供になにかをしてあげることが、自分の生きる意味の一つになるのかもしれません。

クロちゃんほど極端な例になると、お互いに依存しすぎて、よくないとはおもいますが、誰かのために頑張れることを尊いことだと思います。

 

私もこの人のためだったら、自分の人生を犠牲にしてでも何かができるというものを見つけ、努力していきたいです。

 

老いること

老いること

基本的に人間は長く元気に若々しく、美しくあり続けたいと考えるものです。

若だというのがそのまま価値になり、何も成し遂げていないのに若いだけでちやほやされる期間がどんな人でもある一定期間存在します。

 

しかし、国によって若さに対する考え方は様々です。

 

特に日本においては、若さに非常に価値を感じているようです。

先日読んだ本に下記のようなことが書かれていました。

 

日本と比べると若さに対するとらえ方がかなり異なり、アンチエイジングへの関心もそれほど高くはないし、美白やシワ取りにも熱心ではありません。特にイタリアやフランスの場合は肌が衰えることなど気にもせず、夏はビーチに出かけて太陽の下で肌を焼くことが当たり前

 

これは欧州の人たちの考え方なのですが、若さは必ずしも価値につながらないことを象徴しています。

若いだけで中身がない人は何も評価されることはありませんし、年を重ねていても、これまでの経験や人間味のある人はより評価が高く受けている傾向があります。

 

モノに対する考え方についてもそれが垣間見えています。

欧州は、安いものをどんどん買い替えるという習慣はなく、一流のものをできる限り長く使うことに価値を置いて、消費行動をしています。

 

アメリカのように欲しいものはどんどん購入して、消費していくスタイルを冷ややかに見て、できるだけ高品質なものを長く育てていく。

そういった感覚の人が多いように感じます。

 

そのため、年を取ることに対しても必ずしも悲観的ではなく、味わい深さも感じていることでしょう。

 

私たち日本人もそこは見習うべきところだと思います。

しわができたから落ち込む。

身体能力が落ちてきたから、何かをあきらめる。

そんなのはなんか悲しくないですか?

何歳になっても、できることはあるし、やりたいという思いさえあれば、なんでも挑戦できるはずです。

 

若さに価値を感じることを否定しているわけではありませんが、あまりに若さに価値を置きすぎると不幸になります。

だって、人間は生きている限り誰しもが若さを一歩ずつ着実に失っていってるのですから。

それよりかは、それを前向きな方向にとらえて、明日に希望をもって生きていきたいものです。

 

3000円の使い方【レビュー】 ~コスパ良く生きたい人~

 

今日は3000円の使いかたという原田ひ香さんのレビューをしていきたいと思います。

本スキの人なら、書店などで平積みされているところを目にされた方もいるのではないでしょうか。

文章も読みやすく、小説形式になっているので、どんな人でも抵抗なく読んでいただけるかと思います。

 

基本的には、お金の使い方についてある家族を通じて、気づきを与えてくれる構成になっています。

最近はいろんなお金本がでていますが、形式的にならずに実生活を通じて、自然とお金に対する考え方を学べるいい本だと思いました。

 

その中でも、費用対効果という章があったので、そこについて重点的に述べていきたいと思います。

 

費用対効果

 

費用対効果とは、自分が支払うお金に対して、どれだけ見返りを多くもらえるかという考え方がベースにあります。

昨今では、コスパなんて言い方もしますよね。

 

今はネットが普及しているので、なんでもネットで比較することができます。

何かものを買う時にでも、いろんな商品と比較検討することができます。

その中でいかに自分が支払うお金に対して多くの利益を得られるかが一種の命題にないつつあると思っています。

 

コスパよく生きたい人

 

私はこの費用対効果(コスパ)は、ものに対してだけの考え方と思っていましたが、今やあらゆることに対してあてはめて考えられているようです。

 

例えば、勉強。

勉強といってもいろんなものがありますが、どれが一番楽して、多くの利益を得られるかという考え方のもと、自分が勉強したいものを選ぶ人がいます。

本来、勉強とは自分の知的欲求を満たす高貴なものだと思っていますが、お金を稼ぐためのツールとして用いられることも珍しくなくなってきました。

例えば、有名な学校にテクニックを使って入るとか。

 

そのほかにも友達にもコスパをあてはめて考えてしまっている人もいるそうです。

最近は派生語としてタイパ(タイムパフォーマンス:時間対効果)という言葉までできている。

 

結婚のコスパ

 

日本でも社会問題となっている結婚。

では、コスパの観点から見て結婚コスパはいいものなのか?

 

結論的には、コスパ悪いと思います。

なぜなら、ひとりで使えるはずのお金も半分になりますし、使い道もお互い話し合って決めていかなければなりません。

時には不本意なお金の使い方をしなければ、ならずそれは決してコスパがいいとは言えません。

 

そのうえ、大切な時間も自分一人だけのために自由に使うことは難しくなってくるため、時間を思いっきり投下して、何かをするということに後ろ指をさされるような形になります。

(それは結婚相手にもよるかもしれませんが、少なからず時間の弊害はあるでしょう。)

 

家族を持つことのコスパ

 

結婚の次のイベントとしては、家族を持つこと。すなわち子供を持つこと。

これはどうなのでしょうか。

もちろん答えはコスパ良くありません。

手塩にかけて育てた子供であっても、まっすぐ親の言うとおりにどだってくれる保証なんてどこにもありませんし、逆に不幸になる可能性だって大いにあります。

何よりも圧倒的にお金がかかります。

 

結婚だけであれば、大人対大人なので、多少のわがままは許されるでしょう。

ですが、これが子供を持つと変わってきます。

 

果たすべき大人の責任というものが出てくるからです。

親として、立派な大人として子供をそだてあげなければいけません。

自分の時間をすべて注ぐくらいの勢いで時間を投下する覚悟がなければ、親なんて務まりません。

これまでの自分の娯楽の時間を削って、家族のために尽くす。

 

自由が制限される

 

ここまで述べてきたように、じぶんひとりだけでなく、誰かと生きる。

家族と生きるということは自由がなくなります。

今まで自分だけの面倒を見ていればよかったものが、他者の面倒も見る必要が出てくるからです。

 

自由が制限されることがコスパ良いのでしょうか。

費用対効果としてどうなのでしょうか。

特に自由を求めている人にとっては、考えるものがあるかもしれません。

 

それでもなお。

 

ここまでコスパのいい生き方ってなんだろ?というテーマで書いてきました。

 

人には人の考え方があり、どれが正しくて何が間違いなんていうものはありません。

自分がどう感じ、どう生きたいか。

ただそれだけなんです。

 

でも、それでもなお私は家族を持ちたい。

自由が制限されるとしても、誰かとともに生きたい。

 

私がそう感じるのは、誰かと生きる喜びを知っているからです。

時分より相手のために使える時間(命)は尊いものです。

 

相手のために何かをしてやりたい。

他者に貢献してやりたい。

 

それこそ美しい人間の姿ではないでしょうか。

 

確かに、結婚して家族を持つことは、時間や自由を奪われるかもしれません。

コスパ悪いかもしれません。

 

でも、そんなに費用対効果ばっか求めて、なんになるんでしょうか。

自由な時間があって、何がやりたいんでしょうか。

独りで至高の時間を過ごすより誰かとかけがえのない時間を過ごすほうが何にも代えがたい価値があると思います。

 

未知の世界へ

 

家族は自分の通りには生きてくれません。

だから面白いんじゃないでしょうか。

 

時分では絶対にしないような選択を勝手にどんどんしてくれて、面白い体験を疑似体験させてくれる。

新たな世界へと自分を導いてくれる。

 

いろんな世代の考え方。

いろんな地域の人とのめぐりあわせ。

そんなものを自然と引き寄せてくれるのが、家族なんだと。

 

だから、自分一人で生きるよりもいくらかも可能性が広がります。

 

人生にコスパを考えない。

 

コスパというものは、流行りかもしれませんが、人生にたいして、コスパという考え方は全く当てはまりません。

 

なぜなら、結局誰にもコスパのいい生き方なんてわからないからです。

自分の将来が決まってたら、あなたは今努力しますか?

 

アップルを創ったスティーブ・ジョブズは、かなり人生を遠回りしたような人でした。

大学で自分の専攻とは関係ない美術系の授業を受けたり、自分で作った会社を追い出されたり。

でもすべての出来事があったから今日ここまで偉大な企業を創ることができたんです。

 

だから全然コスパなんて悪くありません。

 

今一見遠回りしているように見えている人でも、それは未来の自分に絶対に役立つから。

そう思って、今を懸命に生きてください。

あの時手を抜かなきゃよかったなあ。

あきらめなければ、よかったなあ。

 

そう後で振り返りたくないですよね。

 

 

今は効率悪い生き方に見えるかもしれない。

無駄な時間を過ごしているようにみえるかもしれない。

 

でも、大丈夫。

 

それを無駄な時間にするか。

価値ある未来のための大切な時間になるかは、今の、これからのあなたの行動が決めるのだから。

 

 

 

言葉にするということ

かなり久しぶりの更新となってしまいました。

文章を書くということをずっとやっていたのですが、こちらでの更新は久しぶりになります。

 

何故今回更新しようかと思ったかというと、言葉にすることの大切さを改めて感じたからです。

 

普段自分の頭の中で何となく考えていることってありますよね。

でも実際にそれって言語化できてますか?と問われると必ずしもYESといえないはずです。

 

私もそうです。

自分の頭の中でこう考えているな。と理解したつもりで全然理解できていないんですね。

 

だからこそ言葉にすることの大切さを改めて感じ、こうやって文章にさせてもらってます。

 

書くことって自分を理解するための一番のツールだとおもいます。

頭に浮かんでくることを次から次へとアウトプットしていく。

自分で言葉にすることで「あ、今自分はこう感じてるんだ」とか新たな自分の発見にもつながります。

 

形はこだわりません。

どんな形であれ自分の思いを言葉にする時間っていうのは大切にすべきです。

 

確かに体裁の整った文章を読むのは心地がいいです。

ですが、体裁ばかりを考えて描くことを避けていればいつまでたってもそこから抜け出すことはできません。

 

大切なことは、文字数でも文才でもありません。

自分の思いを言葉にしたいという意思です。

 

どれだけへたくそな文章でも書いて書いて書き続ければ、いずれかは自分の型ができてきてより適切に相手に伝えることができるとおもっています。

文章にすることから逃げない。自分と向き合うことから逃げない。

 

自分の力のなさを知ることは一見すると怖いことです。

ですが、自分の弱さを知らないことはもっと怖いことです。

 

自己理解ができていないと自分を客観的に見ることができなくなってしまいますし、いずれ誰も自分を理解してくれないとお門違いに殻にこもってしまうきっかけにもなりかねません。

 

だから、とにかく自分を理解するために書きましょう。

書いて書いて書きまくりましょう。

私も人のことは言えません。

 

ずっと、ずっと書くことから逃げてきました。

わかりづらい、何が言いたいかわからないと否定されることが怖かったからです。

でも、いいんです。今はしっかり伝わらなくても。

受け入れられなくても。

少しずつ少しずつ変えていく。

変わっていくきっかけをもらっていると思えば何も怖いことはありません。

 

だから私はこれからも自分の思いを言葉にして伝えていくことをやめませんという宣言をして、今日の感想とさせていただきます。

伝わる文章とそうでない文章の違いは文才ではなく技術だった話

東大作文という本に出会いました。

今までは基礎的なまとめ本を中心に読み込んでいましたが、この本はその先もう一歩踏み込んだ内容で納得感がありました。

 

内容も申し分ないので買って間違いないと思います。

ぜひ一度読んで見てください!

 
 
 
 
 
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5月病を打ちのめせ【やる気が出ないときのモチベーションアップ方法】

5月の代名詞「5月病」

 

皆さんお久しぶりです。

いかがお過ごしでしょうか。

 

私はなんとか5月病にもかからず忙しい毎日を過ごしています。

この時期にめんどくさくなってくる気持ちわかります。

私だって時には何もしたくない日が1日や2日あります。

 

そんなあなたに今日はモチベーションを維持する方法とそもそもモチベーションとはなにかということを説明していきたいと思います。

 

メタ認知でモチベーションを図る

 

私は今、モチベーションが高い、今日はやる気が出ないといったように人間は何となく自分のモチベーションの状態を把握しています。

それは、メタ認知という能力が人間に備わっているからです。

 

メタ認知とは簡単に言うと、自分を客観的に見て自分が今どのような状態にあるか把握できることです。

 

今は自分はやる気が上がっている状態と認識することと、目の前のことに一心不乱に取り組んでいるときとではモチベーションのとらえ方が変わってきます。

 

前者は客観的に自分の状態を把握できており、後者はただただ目の前のことに没頭しています。

 

どちらがいいという話ではありませんが、客観的に自分の状態を把握できたほうがコントロールが効きやすいのは確かです。

 

モチベーションを高く保つには目の前にニンジンをぶら下げる。

人間は目の前に餌を出されるとドーパミンがドバドバと出ます。

現代でいう餌とはスマホだったり、最新のニュースだったり、砂糖たっぷりのお菓子だったり多種多様です。

 

そんな誘惑の多い時代に生きているから流されてしまいがちですが、逆にこの障壁を味方につけることもできます。

 

例えば、アイスクリームが大好きな少年Aがいたとします。

その少年はアイスが食べたくて食べたくて仕方がありません。

ドーパミンもガンガン出ています。

しかし、ここで簡単にえさを差し出すのではなく、ドーパミンが出ている状態でほかのものに取り掛かります。

宿題をしたり、筋トレをしたり、掃除をしたりといったように。

 

目の前の餌をお預けすることで、それを早く手に入れたいといった欲求から嫌なことでもすすんで行動を起こせるようになります

 

ぜひ、いやなことでも目の前の餌をうまく使って取り組んでいってみてください

 

それではまた!