AIの出現により、将来私たちの仕事の半分以上がなくなるというニュースをよく見るようになりました。
AIの登場は喜ばしいものか。はたまた悲劇の始まりか。
そう決める前にまず、AIのことをよく把握する必要があります。
AIがどこまでの能力を持っており、どのように使うことができるのか。
どんな脅威になり、私たちの仕事を奪っていくのかそれを正確に見定める必要があります。
AIは東大に合格するほどの知能がある?
はっきり最初に言っておきます。現段階でAIが東大に入学することは不可能だとされています。
AIがプロの囲碁将棋に勝利したというニュースが報道されるようになり、ついにAIは人類を超えたかと思われがちですが、それはごく一部の断片的な情報に過ぎず、AIが人間を超え、人間世界を支配するということはまずありえません。
囲碁であれば、法則が決まっており、その法則の中から計算をして、一番リスクの低いものを選択すれば、勝利となる可能性は高くなります。
ですが、人間世界はこんな単純なものではなく、時には、リスクをとることが結果としてリスクヘッジとなったり、感情や直感で行動したことが良い結果を呼び込むという事例も少なくはありません。
だからこそ、AIが人間世界を支配するということはあり得ないのです。
むしろ見方だと考えたほうがいいでしょう。
単純作業などは何万時間やっても苦痛を伴わない機械にやらさせて、人間はより人間らしい生産活動に時間を使えばよいのです。
そうすることで、単純労働という苦痛から解放され、より幸福度が高まると私は思います。
また、先ほどの話に戻りますが、AIは東大に合格できるほどの知能は備わっていませんし、これからもそこまでの域に達することは不可能だと考えられています。
それは、東大の問題はただ暗記すれば、よいというものではなく、その知識の中から自分の思考を張り巡らせ、創造していくことが求められています。
しかし、逆に言うとある程度の大学入試であれば、簡単に合格することが分かっています。
有名私立(関関同立、Marchクラス)でも合格率80%をたたき出しています。
AIは平均的な人間の偏差値は超えてしまっているのです。
ただこれに悲観する必要はありません。
偏差値が人間のすべてではないからです。
偏差値ではなく、人間らしさ。例えば人間らしさ、思いやり、気づかいなどAIのプログラミングでは、超えられない対人スキルを磨くことで、自分らしさというアイデンティティを確立することができます。
知識量や情報量では、AIに勝つことはまずできません。
ならば、その情報をうまく使いより、価値のあるものへと変換することがこれからの私たちに求められていることではないでしょうか。
だから、私はAIとともに生きるために今日も勉強し、自分を磨いていきたいと思います。